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遺書手紙日記

覚書、或いはTLを汚さないための長文

骨折したときはギプスを当てよう 或いは昨日の話

4月23日 晴れ

そろそろ暖かくなってきた。冬物をしまってもいい頃合いのように思う。

3時30分くらい。本当は2時50分開始なのに。

 

今日は天気がいいのでできれば外へ行きたい。ついでになんか振込とか済ませてきたい。ていうか行く。済ませる。

あと出納帳も完了させておきたい。

 

なんだか今日もいまいち書くことがないというか、書く気力がないというか。

 

ぼくは今社会生活不適合者として生きているわけだけど、たまに、いつの時代だってこんな人はいたんだろうな、と思いを馳せるなどしている。

そういう人たちは、ひっそりと苦しみながら時代の影に死んでいったのだろうか。それとも実際には、あんまりいなかったのだろうか。それとも苦悩と苦渋を抱えながら生きることに立ち向かい、或いは死んでいったのだろうか。

人が多かった時は全然問題にならなかったのかもしれない。それでも社会システムは回り続けた。でも今は未来に向けて人口が減っていく時代、人間の量ではなく質を高めなくてはいけない時代だ。

……いや、こういう繋ぎは適切ではないな。いつの時代だって多分生きるのが辛かった人はいたんだ。そういう人たちは苦しみながら苦しみながらどうやって生きて行ったんだろうということを考えるんだ。

 

最近仕事中は中島みゆきのファイトを口ずさみながら作業をしている。

自分自身は全然まったくこれっぽっちも人様に誇れるような闘いをしているわけではないけれど。

むしろ世間様から見たら嘲笑を受けて当然のような存在ではあるけれども。

 

わたし驚いてしまって叫びもせず助けもしなかった

ただ怖くて逃げました

私の敵は私です

 

ここらへんでだいぶ泣く。

ぼくの敵はぼくなんだなあって思う。

一度も勝てたこと無いよなあって思う。

怖くて逃げて怖くて逃げての繰り返しだったなあって思う。 

己に克つと書いて克己なんだよね。勝ったことないけど。

 

でもそれ以上にこれで泣く。

あたし男だったら良かったわ

力づくで男の思うままに

ならずにすんだかもしれないだけ

あたし男に生まれれば良かったわ

別にぼくが女であるわけではないんだけどね。でもなんかこう、男の我儘さとか横暴さとかすっごい嫌いだからさ。

女性に肩入れしちゃうっていうか、男ってほんとクソっていうか、地球から死に絶えればいいのにって思う。

男なんて生き物はこの地球上から死に絶えればいいのにって思う。

まぁ、多分に私怨も入ってるんだけどね。

ぼくがひきこもったのは、たぶん、大人の男に、男性に、なることを拒否したからだと思うし。本当にろくな男親がいなかったんだ、ぼくの周りには。

というか、親父に反骨とか反発とか反感とか持ってたと思うんだよね。別に悪人じゃなかったと思うよ。ただ母親を困らせるような性格だったことは確かのはずだし。その後も定職についたんだかつかないんだか分からないような人種だし。メンタル弱かったらしいし。見事にぼくはその路線を継承してるってわけだ。くそくらえだ。

そうやって色々絡み合って大人の男が嫌いになった。なったのに、中学生の自分の体はどんどん大人の男になっていく。それが物凄く嫌で耐えられなかった。

当時毛深かったのが物凄く嫌だったな。体育の授業が短パンで物凄く嫌だったから「忘れました」って体育教師に嘘吐き通して長ズボン穿いてたし、水泳の授業は全部不参加。そのせいで夏休みに余計に課題出されて、この体育教師がまた頭が固くて厳しくて男らしい禿げたおっさんでさ、めちゃくちゃ嫌いだったね。嫌いというほど攻撃的な感情ではなかったかな。嫌だった。何もかも嫌だった。だから1年の夏以降ひきこもった。

この毛深いっていうのは物凄く嫌なことで、胸の毛が生え揃ってきたときもぼくはショックで泣いた。伯父の風呂上がりの姿を見ていて、ああはなりたくないなとずっと思っていたからだ。でも自分も結局そうなってしまった。

話がそれたかな。

とにかくその延長で男の上司とかも今でも苦手。怒鳴られたりする想像だけで吐きそうになる。父親然としたやつが嫌い。

親父のようにはなりたくないとずっと思いながら生きてきたけど、蓋を開けてみれば親父以下の人間にしかなれなかったってことなんだよね、今の現状。定職にはついてないし。ぼくが生まれたときの親父の歳をもうすぐ越えてしまうっていうのに、いまだに童貞だ。まぁ、そこはいいんだ。この陰険で絶望しかない遺伝子を残そうなんて思わない。自分のこともろくに手が回ってないのに、他人の面倒まで見れるかよ。見れるわけない。そんなクズが家族を持とうなんてちゃんちゃらおかしい。

多分、嫁とか子供がいなかったら、老後とか中年以降、物凄く寂しくなるんだと思う。自分はこの世の中にひとりぼっちで、とうとう誰とも心を通わせられなかったんだなって思うんだろう、そういう予想がつく。老いた母の介護をしながら毎日暗い気持ちで過ごす未来がぼくの頭のなかにある。それは物凄く嫌な未来だけど、じゃあどう逃れようかと言われても、分からない。だって母だって、心を通わせるはずだった相手がいないのだ。老後になって歳食ったなあなんて話せる相手とは、ずっと前に離婚してしまったのだ。そんな母を独り身で置いておいたらどうなってしまうかわからない。これが共依存というやつだろうか。それとも親孝行だろうか。わからない。

 

片親が良いか悪いかって議論はよく出るけど、当事者として言いたいのはこういうことだ。

子供を育てるには人間一人じゃ時間が足りない。

二人なら足りる可能性は高くなる。

子育てってのはとにかく手間と時間がかかる。かかりまくる。かかりすぎまくる。なんで人間ってやつはこんなに未熟な状態で生まれてくるのかってくらい手間がかかる。

これは可能性とか確率とかの問題だ。

片親だから悪いってわけじゃない。でも一日はあらゆる人間に平等に24時間しかないんですよ。そして一人の人間にできることには限界があるんですよ。24時間の間に48時間ぶんの何かができるなんて絶対に有り得ない。そして片親はどう足掻こうとも一人分の見識しか伝えられない。違う意見というものを持ち得ない。違う人間というものを見せられ得ない。

物事はね、比較して初めて良し悪しが判断できるんですよ。比較のためにはね、二種類以上のサンプルが必要なんですよ。片親というのは、それを提供しづらい。

今ここまで読んでいる賢明な読者諸兄諸姉は、片親だからって一人でなんでもこなしているわけじゃないだろうとお思いになったかと思います。たとえば保育園とか親の親とかベビーシッターとかね。はい、その通りです。片親というのは親本人だけでどうこうするのは無理筋なんです。色んな人の力やお金を借りてどうにかこうにか子供を育ててるんです。だから世間でよく言う「男手一つで」とか「女手一つで」とかいうのは、まあまあ実態とは乖離していると思います。人生ってのは、環境次第で、ベリーイージーからベリーハードまでスペクトラム状の難易度になってるんですよ。極々稀に誰の手も借りずに一人で何から何までこなすシングルペアレントとかいるかもしれませんが、それは既に常識的な範疇から色々と突き抜けた神話生物だと思います。

そもそも子供を育てるなんて、荷が重すぎるんですよね、たった二人くらいの人間に背負わせるって。色々な人と接して、色々な価値観と出会って、そうしないと子供ってきちんと育たないと思います、多分。或いは運良く育つ可能性もゼロではないですが。人生はギャンブルです。試行回数が稼げないという意味でも、ギャンブル。

やばいうっかり敬語になっちゃった。なるだけならないように気をつけてたのに。

まぁ素人考えの発達心理学はおいといて。

父親持ちは正直羨ましいよ。一緒に買物に来てる老夫婦とか見てると微笑ましい。同時に羨ましい。何十年添い遂げて、色々辛いこともあっただろうに、間柄が壊れずにそこまで二人で生きてきたの、凄いですねって言いたくなる。でもそんな奇跡はこの世の中において有り触れてるんだよね。それが普通だとされているんだ。デファクトスタンダードなんだ。普通の人はそこへ行き着いて当然とされているんだ。

悲しい世界だ。辛い世界だ。

 

記録しておく。

昨日は友人と新潟の街へ繰り出して映画を見てきた。クレヨンしんちゃんのを見たけど、あんまり面白くなかったな。点数的には60点って感じ。それについてどうすればよかったかってずっと考えてる。

それからラブラ万代のロフトへ行ってほぼ日手帳と手提げバッグを買ってきた。

とうとう買ってしまったほぼ日手帳。使いもしないであろう手帳に2000円+税。なんて贅沢な出費。なんて無駄な支払い。でもしょうがないね、欲しかったし。

あとは兼ねてより無くて困っていた普段使いのバッグを買ってきた。満足行くデザインとは言い難い上に以前使っていたものの2倍くらいの値段だったが、まぁこれからも使っていこうと思う。また別に買うかもしれないけど。

 

ええと、あとなんだったかな。もういいかな。

うらうらしてるあいだに5時20分になってしまった。これから走りに行くとATM手数料かかるかなぁ。

3698文字。