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遺書手紙日記

覚書、或いはTLを汚さないための長文

何を書こうかと考えているとき、ネタもまたどう書かれようかと悩んでいる(大嘘)

4月8日 どんより曇り

神様がフィルター掃除を怠ったかのような曇天である。

うちのヒーターのフィルターと同じような色の空だ。

 

さて、今の時点で帰宅後2時間である3時半から30分経過して4時である。だいたいFGOが悪い。

外に出られない天気ではないが、さりとて陽気では決して無い。どうしたものか。

体調もあまり優れない。今日も早朝覚醒というかなんというか、目覚ましよりずっと早く目が覚めてしまってそこから睡眠の質はがくんと落ちる。遅刻の恐怖に苛まれながらあと1時間半くらいを過ごすことになる。これでは横になって寝ているのか哨戒中の居眠りなのかまるでわからない。

その割に仕事でミスしないでいられたのは、まぁありがたい。もっともこの程度の難易度の仕事でこの程度の時間、ミスとかフツーありえないだろと常人なら思うのだろう。俺もそう思う。頭の中だけは一端にまともだ。理想だけは。望みだけは。

 

 

数日前のことだが、フルタイムの郵便局のアルバイトの募集葉書が投函されていて、郵便局も人手不足なのだなと思う。

もっとも、人手というのはこの場合、体よく使える労働力と言う意味だが。

大学全入時代だとか言われる割には、世の中にはそこまで頭を使う仕事のポストは多くないし、そのポストに収まれるほどの器と頭脳を持つ人間はもっと多くない。それを自ら作り出せる人間なんて更に稀だ。世の中は現場があって初めて仕事が回る。頭は一つで良いが、手か足が一本しかないとしたら不便極まりないのと同じだ。というか一本欠けてるだけで物凄く、物事が不便になるだろう。

今から少し先の未来の労働内容は、管理労働と単純労働という二極化になっているのだろうなぁとSFっぽい空想をしている。というかもうそういう世の中になりつつあるのだと思っている。

前者はヒトモノカネを管理する、頭を使う労働。仕事に対する責任や成績を望まれる替わりに、地位や収入や肩書を得る。

後者はヒトモノカネで使役される労働。仕事に関する責任はなく、来る日も来る日も似たような作業を繰り返すだけの仕事。責任を問われないがいくらでも代用が利くので簡単に入れ替わる。収入も労働の単純さや責任に比例して軽い。

やっぱなりつつある、というかもうなってるよね、うん。

更にSF的に考えを進めるなら、後者の仕事は、いずれ技術が進めばすべて機械、ロボットに取って代わられる作業だ。最近日本産のGPS衛星がナントカっていう話題あったよね…っと、これだ。

qzss.go.jp

これ、凄いよね。たしか今のメートル単位の精度から数センチの精度まで絞り込まれるんだっけ。ざっくりした情報で悪いけど。詳しくは適当に↑を読んでね。

今もう絶賛開発中だと思うんだけど、センチメートル単位のGPSと自動運転システムを連携した仕組みを構築すればさ、これもう長距離ドライバーなんていらないよね。何時間もかけて何百キロ走るような超絶危険で確実性のない仕事を人間に任せる必要なんてないよね。

実を言えば母の実家が米農家で、そこの親子*1が長距離ドライバーなんだけど、さ。あんな激務、体力に自信ないとなかなかやってらんないと思うよ。それでもやる人がいるんだよね、あれ、稼ぎがいいから。でもって求人情報誌とか見ると絶対に長距離ドライバー募集の求人がある。人が足りないから。激務だから。みんなやめていく。そらまぁ好き好んで徹夜で日本横断したりする仕事なんてやりたくないよねって。

でも長距離ドライバーは、手足なんだよね。手足というか、血液だよね。赤血球だよ。この人たちがいないと日本回らないよ。ぼくの店にも毎日3回くらいに分けてトラックが来て、荷物置いていくよ。彼らが日本の流通を支えてるんだよね。彼らがいるからぼくらは家から歩いて10分の店舗でおかずが買えるんだ。

だけどその人たちより、空調の効いた部屋で、8時に出勤して5時に退勤して、プレミアムフライデーの恩恵を受けられるような、そういう人たちの方が偉いんだよね。管理する立場だからね。

まぁでも、どっちが欠けても流通は回らないのか。頭がなければ手足は動かない、心臓が押し出さなければ血液は流れない。そうなるとやっぱり、代えが利くドライバーの方が価値も地位も低くて当然なのだなぁ。

金鉱を掘るより金鉱を掘る道具を売る商売の方が儲かる、とは誰の言葉だったか。弟から聞いたんだけどね、この言葉。町工場で使う工業機器のルート営業の仕事してるからね。

悲しいなぁ、世の中って悲しいなぁ。

でも当たり前だよね、単純に体を使うより、頭を使う方が、効率的なんだ。100m走はトップランカーでも10秒くらいだよね。でも万年運動不足のぼくでも20秒はかからないだろう*2。体を使うっていうのはそのくらいの差しかつかない。でも、100の事柄を思い出す必要があるとき、頭のいい人は、5秒くらいで全部思い出すかもしれない。これが100m走ならぶっちぎりで世界記録だ。10秒でトップランカーだ、12秒で65歳以上の世界記録だ、20秒だと95歳以上の記録になる。そして、100の事柄を完走できればまだマシな方かもしれないよね。頭を使うっていうのはそういうことだし、頭がいいっていうのはそういうことだ。Aという1単位の時間を、何倍にも何十倍にも圧縮できる。圧縮どころか展延もできるし連想もできるしとにかく伸縮自在だ。これは体の格差より遥かに大きいんじゃないかと思う。大きいらしいとどこかで見た。ぼくもそう思う。

早く全部全部全部機械化されて、人件費なんて言葉は辞書の片隅に掲載された古語になる日がくればいいのに。

人間は機械にペットにされればいいのに。今人間が猫を可愛がるように、機械が人間を可愛がる、これも誰かの受け売りだけれど。ははは、不合理ないきものだな、だがそこが愛らしいんじゃないか、見ろ、こんな芸もできる、おれたちなら一瞬なのに人間ってやつはこんなに時間かけないとできないんだな、ははは、ほらご褒美だぞ。

ディストピアか? ユートピアか?

さあ、どうだろう。ぼくにはわからない。まあでも、多分そうなる頃まではぼくは生きていないだろう。

生きていなくても、想像することができるから、やっぱり頭って凄いな。

 

 

現在5時16分。2590文字。

昨日のやりタイムでは日記を下ろすこととストレッチができた。

本に掲載されていたストレッチを片っ端からやってみたが、本来はいくつか選んで自分でメニューを組んでやるものらしい。ぼくの場合は背中や肩甲帯周辺と脚部を重点的にやりたい気分だ。

日記はうーん開いてみれば休日を書き込むくらいしかすることはなかったな。メモやアイディアを書き込むようなスペースはあまりない。この日記はそういう使い方を想定されていないのだろう。ほぼ日手帳を買おうかどうか迷うな。運転免許の更新があるから出費が嵩む。

今日のやりタイムはどうしよう。

とにかく眠い。眠い。眠い。でも睡眠に充てるのは、どうなのだ? 使い方間違ってないのか?

積んであるタスクはこないだの本の感想文くらいか。そうそうそれと3月分の出納帳をつけねばなるまいか。多分2月分もつけてないけどね。

書き始めたときの天気は相変わらずで、雨は降ってないので外には出られる。

或いは少し前から頭のなかで踊っている文章の種を育ててみようか。

 

少し離れた場所に住んでいる弟が、週末になると帰ってくるのだが、仕事の日報や週報のまとめのようなものを毎度毎度この家でやるのだ。それと休日には勉強ノートなるものが義務付けられているらしく、切削機械のカタログを覗いてはルーズリーフに何か書き写している。あの光景が、体たらくを晒しているぼくの精神をガリガリ削る。微笑ましいと思う一方で羨ましいと思い、劣等感と罪悪感を海の塩で洗って山の頂で天に晒しているような気分にさせられる。

「なにかやりタイム」には、アレに対抗する目的も多少あったりする。理性的に考えれば、対抗できているとは到底思えないが。

3267文字

*1:ぼくからするとおじさんといとこ

*2:一回限りならね