遺書手紙日記

覚書、或いはTLを汚さないための長文

ここ数日の話 或いはブログ開始して一ヶ月らしい?

4月30日 晴天なれど風強し

本日は残業1時間。あとは不動産屋さんとの打ち合わせ。

かなり眠いので駆け足で行く。

 

やはり無理矢理にでも時間を造らないと人間ずるずるとサボってしまうものだ。

折角習慣づいてきたのに、ランニングも3日ほど空いてしまったし日記も3日空いてしまった。これはよくない。

とりあえず今日は1時間4kmほど走ってきた。

そしてこうして日記を書いてる。

 

29日は2時間残業1時間休憩。

親と叔母上がいなかったので晩御飯は質素に……と思ったら弟が弟の彼女と弟の友人を連れてきて「七輪でバーベキューをやろう!」と言い出したのでそれに付き合うことになった。

おいなんだそれは。突然過ぎるだろう。

でもウィンナーとかバラ肉とか焼いて楽しかったです。まだちょっと肌寒かったけど、それはそれで風情があったり。

ボーイスカウトに所属していた頃のキャンプファイヤーを思い出してしまった。あのときは、泊まりのイベントに出かけていくのが嫌で嫌で仕方なかったなぁ。でも帰る時になると楽しかったっていうんだぜ。心配症だったのかもしれない。

スタンツと呼ばれる小出し物とか考えるのも楽しかったな。コンパスを駆使したオリエンテーションとか、定番のカレー作りとか。楽しかったけど、残念ながら自分の身にはならなかったらしい。そういう思い出があるという程度にとどまっている気がする。

 

27日は休み。28日も休み。

だいたい叔母上に付き合って買い物に行ったり自分自身の買い物したり。

礼服をとうとう買ってしまった。けれど3万円以下で済んだので、叔母上殿に1万円の支援を受けたこともあり、いい気になって夏用の服もだいぶ買い足してしまった。

なんで1万円もくれたかわからないけど、なんだろう、そんなにみすぼらしかっただろうか。みすぼらしかったかもしれない。ともあれこのお陰で夏用のシャツや新しい靴やらを追加できたのはよかった。いい加減Tシャツの首周りがヨレヨレなものばっかりだったのだ。

 

父方の祖母に父親の死んだときの話を聞きに行ったが、案の定というべきか、ざっくりとした話しか聞けなかった。

当然といえば当然だろう、自分の息子が死んだときの状況なんてまともに覚えていられる精神の方がレアケースだと思うし。ともかく聞けるだけ聞いてみた。

その内容を今日不動産屋さんに報告すると、やはり情報が足りなかったのか、他のアテを探してきて欲しいというような意味合いのことを言われた。

が。

色々言った結果、母親がその辺話を伝えてくれるようで、ひとまず任せることにした。そういうことなら最初に頼んだときにやってくれ。本当に人間って面倒臭いな。余計な配慮なんて要らないから必要なことを伝えてほしかった。

これは父の葬儀のときに死因を尋ねたときもそうだった。余計な配慮なんていらないのだ。ズバッと言ってもらうのが一番楽なのに。

ともかく不動産屋さんにはそんな感じ。

 

父方の祖母は今でも元気だ。寝たきりだったり杖や車椅子を使ってたりもせずきちんと自分の足で歩いているし、同じ話は繰り返すけれどもきちんと会話を先に進める思考力もある。最近は折り紙に凝っているようだった。

でも、もう世間に対する情報が更新できてないのだ。イデオロギーというか、なんというか、そういうものが。

いまだに「心を病むのは心が弱いせい」だとか(ある一面では間違っていないだろうが)を真顔で言う。そして困ったことにこんなことも真顔で言う――「人間は結婚して一人前。結婚しない人はどこか幼稚で自分勝手」と。何度も何度も毎回毎回言う。ぶっちゃけそれは因果関係が逆転してますよと、言いたいけど言えない。どう考えても幼稚で自分勝手だから結婚できなかったとしか思えない。

というか、今はもう、そういう時代じゃないんだよね。結婚して一人前になるのではなく、一人前になってから結婚する時代だと言うのに。男のほうだって女のほうだって、まともな判断力があるなら、相手が大人と呼ぶに値する程度になってから決断に行く時代だと言うのに。まあ、それでは遅すぎるから色々問題になっているのだが。

ああ、めまいがする。

 

ええと、あとなんだっけ。

だいぶ眠くてもう倒れそうだ。

だいたい書くことは書いたような気がするから……もういいかな。

うん、寝よう。

1737文字

昨日の話 或いは今日の話

4月26日 雨

今日こそは走ろうと思ったのにあいにくの雨である。どうにか晴れ間を見て走りに行きたいがちょっと難しいかもしれない。

今日は残業がなかったものの、昨日行っていた遠方からくる親戚を迎えに行っていたため現在15時02分である。

 

そろそろ面倒くさくなってきたので遠方からの親戚とかいわずに固有名詞にしていいか。

叔母上殿としよう。

正確には母の妹ではなく母の母の妹、母から見て叔母に当たる人物であるのだが、新潟のド田舎出身でありながら埼玉で立身した正真正銘のミュータントである。めっちゃやばい。

まぁ色々あって老後になってから向こうと埼玉の二重生活を楽しんでいるというわけだ。

年齢より遥かにフレッシュで元気もありまるで衰えを感じない、パワフル叔母上である。

 

そして初っ端から自分のペースというものを守ることの難しさを痛感している。

叔母上殿は家に来るやいなや各部屋一通りまるっと掃除や整頓を始めるのだが、それでぼくの力が必要な段になると遠慮容赦なく呼びまくる。別に嫌ではないけど、その都度こうしてやってることが中断されたりするのだからちょっと困る。

さらにおやつを食べるときも呼ぶ。

飲み物を飲むときも呼ぶ。

パソコンが居間にあるせいもあるかもしれないけど、多分無くても呼ぶだろう。

しょっちゅうこんなかんじなので、叔母上殿がいるあいだはなかなかまとまった時間が取れないのだ。もっとも、そのぶんお菓子を買い込んでくれたりお茶を淹れてくれたり食事を作ってくれたりと種々の恩恵もあるけど。

今後のやりタイムはどうなることやら。

 

そもそもやりタイムとか言ってる場合じゃないんだけどなぁ。

転職したいなぁ……。

 

 

今日も大変眠い。

23時には寝ようという決心をしたものの、やはり日付の変わり目とともに更新されるデイリークエストとかがあるゲームに心を囚われているとそこを突かれてしまうな…。

これはもう意志力でなんとかするしかない。ずるずると続けていてはよくないと分かっているのだからすべてを擲って布団の中に入って目を閉じるべきだ。

 

とりあえず、明日と明後日は待ちに待った連休である。

と言っても何をできるわけでもないのだけれどね……たまには旅行でもと思ったけど、叔母上殿もいるし、それにそんなお金もない。しかもやるべきこともある。

明日は祖母のところへ行く予定だ。父方のね。

 

……洗濯物を片付けろとの仰せが出たので、とりあえずそっちから片付けようと思う。今日は一旦ここまで。

出納帳つけもまだ済んでないのが困りどころだ。

どうにかしないと。

1034文字

昨日の話 或いは明日の話

4月25日 晴れ

4時34分。どうにも体がだるいし眠いしだるい。

今日は残業なかったんだけどな。

ただ会社の健康診断があったから、いつものやりタイムを維持できなかったです。言い訳。

今日は何しようかな。ランニングをこれからするのはちょっと厳しいかな。やっておきたいけど、物凄く眠いのでちょっと迷ってる。

あとは明日遠方から親戚が来るので家の中を片付けておかないといけないんだ。しっかり者で綺麗好きな人だから家の中が汚いままだとまずい。

 

うちの今の家庭環境は結構特殊というか、込み入ってる。

「きみんちの家族って何してる人?」なんていわれると一言では言い表せなくて、まぁ、三言くらいは必要かな。その説明が結構めんどくさいんだよね。別に探られて痛い腹があるわけじゃないけど、だから込み入ってると言うのが適切なんだろうね。

世間一般から見たらだいぶ特異な形態だろうなあと思うよ。人によってはそんなのがよく成立するねと猜疑の目で見るかもしれない。でも関係する人間同士が合意の上で、別段拒否もせずに受け入れてるんだから、これはこれで一つの有り様かなって思う。

ともかく、遠方の親戚が帰ってくるので家の中を綺麗にしておかないといけないのだ。

 

健康診断のメモ。

身長はほぼ変わらなかった。体重は去年と比較するとかなり落ちた。それでもBMIでは太り気味くらい。こんな話少し前にもした気がする。

視力の落ち方がよくないね。運転免許の更新(まだ行ってなかった)のためには両目0.7必要なはずなんだけど、今日の検査では0.8と0.7だった。寝不足もあるけどね、仕事中はすぐ目の前にある書類を終始見ているので、気付いたときに数メートル離れた張り紙に目を移すようにしてる。これだけでも目の周りの筋肉が結構楽になるのが分かるから、これじゃあ視力も落ちるってものだ。生活習慣の問題だね。

 

昨日は2時間半残業して、それから不動産屋さんとお話をしてきた。

父親が住んでいた家の売却を頼んでいて、それの相談だった。

いやあしかし、面倒なものだね。不動産を取り扱う職がどれもこれも資格が必要だったり専門職だったりするのもよくわかるよ。色んな手続きや決まり事がたくさんある。難しいね。

相続したのはぼくと弟なので共同所有物ということになっているはずだけど、弟は忙しいのでぼく主導でほとんどが進んでいる。というか、進めざるを得ない。幸か不幸か争うような量の遺産もないし、幸いなことに争うような間柄の二人でもない。

とりあえず話はまとまりかけているけれど、一つだけネックなことがあって、それの解決がやや手間だ。これは専門知識云々じゃなくて、ぼくが誰かから聞き出さなきゃいけない話だから、ちょっと気が重い。でも早めにやらなきゃな。

どうやら不動産が売れた後、確定申告をしなければならないらしい。というのは、不動産を売却した際のお金が収入として計算されるからなのだそうだ。不動産を購入した当時の購入額が分かる書類があれば(おそらく購入当時の方が不動産価値が高いだろうから)こたびの売却によって利益が出てない、ということが証明できる、しかしそれがない場合は純粋な所得として計上されてしまう、ということだった。30年近く前のことなので、書類も記録もなーんにも残ってない。家の中ももう引き払ってるしね。というわけで、確定申告をしなきゃいけないのはほぼほぼ確定の様子。

でも確定申告と聞いて、ぼくは内心わくわくしている。わくわくが7割でめんどうさが3割くらい。

いやあ確定申告なんて自分に縁が遠いものだと思っていたから、それをやる機会があるなんて聞いたらちょっと楽しみだよね。わかんなかったら係の人に尋ねれば手取り足取り教えてくれるだろうし。あとは必要な書類をなくさないようにすることさえ注意すればね。それも時期になると不動産屋さんの担当の人が郵送してくれるって言うから、本当にありがたいことだ。

 

うーんと、こんなとこかな。

あーあー出納帳も方を付けておかないといけないな。あとプロバイダ料金の支払いも今日までだ。行ってこないと。

とりあえずそんなところで今日は終い。

1683文字

 

骨折したときはギプスを当てよう 或いは昨日の話

4月23日 晴れ

そろそろ暖かくなってきた。冬物をしまってもいい頃合いのように思う。

3時30分くらい。本当は2時50分開始なのに。

 

今日は天気がいいのでできれば外へ行きたい。ついでになんか振込とか済ませてきたい。ていうか行く。済ませる。

あと出納帳も完了させておきたい。

 

なんだか今日もいまいち書くことがないというか、書く気力がないというか。

 

ぼくは今社会生活不適合者として生きているわけだけど、たまに、いつの時代だってこんな人はいたんだろうな、と思いを馳せるなどしている。

そういう人たちは、ひっそりと苦しみながら時代の影に死んでいったのだろうか。それとも実際には、あんまりいなかったのだろうか。それとも苦悩と苦渋を抱えながら生きることに立ち向かい、或いは死んでいったのだろうか。

人が多かった時は全然問題にならなかったのかもしれない。それでも社会システムは回り続けた。でも今は未来に向けて人口が減っていく時代、人間の量ではなく質を高めなくてはいけない時代だ。

……いや、こういう繋ぎは適切ではないな。いつの時代だって多分生きるのが辛かった人はいたんだ。そういう人たちは苦しみながら苦しみながらどうやって生きて行ったんだろうということを考えるんだ。

 

最近仕事中は中島みゆきのファイトを口ずさみながら作業をしている。

自分自身は全然まったくこれっぽっちも人様に誇れるような闘いをしているわけではないけれど。

むしろ世間様から見たら嘲笑を受けて当然のような存在ではあるけれども。

 

わたし驚いてしまって叫びもせず助けもしなかった

ただ怖くて逃げました

私の敵は私です

 

ここらへんでだいぶ泣く。

ぼくの敵はぼくなんだなあって思う。

一度も勝てたこと無いよなあって思う。

怖くて逃げて怖くて逃げての繰り返しだったなあって思う。 

己に克つと書いて克己なんだよね。勝ったことないけど。

 

でもそれ以上にこれで泣く。

あたし男だったら良かったわ

力づくで男の思うままに

ならずにすんだかもしれないだけ

あたし男に生まれれば良かったわ

別にぼくが女であるわけではないんだけどね。でもなんかこう、男の我儘さとか横暴さとかすっごい嫌いだからさ。

女性に肩入れしちゃうっていうか、男ってほんとクソっていうか、地球から死に絶えればいいのにって思う。

男なんて生き物はこの地球上から死に絶えればいいのにって思う。

まぁ、多分に私怨も入ってるんだけどね。

ぼくがひきこもったのは、たぶん、大人の男に、男性に、なることを拒否したからだと思うし。本当にろくな男親がいなかったんだ、ぼくの周りには。

というか、親父に反骨とか反発とか反感とか持ってたと思うんだよね。別に悪人じゃなかったと思うよ。ただ母親を困らせるような性格だったことは確かのはずだし。その後も定職についたんだかつかないんだか分からないような人種だし。メンタル弱かったらしいし。見事にぼくはその路線を継承してるってわけだ。くそくらえだ。

そうやって色々絡み合って大人の男が嫌いになった。なったのに、中学生の自分の体はどんどん大人の男になっていく。それが物凄く嫌で耐えられなかった。

当時毛深かったのが物凄く嫌だったな。体育の授業が短パンで物凄く嫌だったから「忘れました」って体育教師に嘘吐き通して長ズボン穿いてたし、水泳の授業は全部不参加。そのせいで夏休みに余計に課題出されて、この体育教師がまた頭が固くて厳しくて男らしい禿げたおっさんでさ、めちゃくちゃ嫌いだったね。嫌いというほど攻撃的な感情ではなかったかな。嫌だった。何もかも嫌だった。だから1年の夏以降ひきこもった。

この毛深いっていうのは物凄く嫌なことで、胸の毛が生え揃ってきたときもぼくはショックで泣いた。伯父の風呂上がりの姿を見ていて、ああはなりたくないなとずっと思っていたからだ。でも自分も結局そうなってしまった。

話がそれたかな。

とにかくその延長で男の上司とかも今でも苦手。怒鳴られたりする想像だけで吐きそうになる。父親然としたやつが嫌い。

親父のようにはなりたくないとずっと思いながら生きてきたけど、蓋を開けてみれば親父以下の人間にしかなれなかったってことなんだよね、今の現状。定職にはついてないし。ぼくが生まれたときの親父の歳をもうすぐ越えてしまうっていうのに、いまだに童貞だ。まぁ、そこはいいんだ。この陰険で絶望しかない遺伝子を残そうなんて思わない。自分のこともろくに手が回ってないのに、他人の面倒まで見れるかよ。見れるわけない。そんなクズが家族を持とうなんてちゃんちゃらおかしい。

多分、嫁とか子供がいなかったら、老後とか中年以降、物凄く寂しくなるんだと思う。自分はこの世の中にひとりぼっちで、とうとう誰とも心を通わせられなかったんだなって思うんだろう、そういう予想がつく。老いた母の介護をしながら毎日暗い気持ちで過ごす未来がぼくの頭のなかにある。それは物凄く嫌な未来だけど、じゃあどう逃れようかと言われても、分からない。だって母だって、心を通わせるはずだった相手がいないのだ。老後になって歳食ったなあなんて話せる相手とは、ずっと前に離婚してしまったのだ。そんな母を独り身で置いておいたらどうなってしまうかわからない。これが共依存というやつだろうか。それとも親孝行だろうか。わからない。

 

片親が良いか悪いかって議論はよく出るけど、当事者として言いたいのはこういうことだ。

子供を育てるには人間一人じゃ時間が足りない。

二人なら足りる可能性は高くなる。

子育てってのはとにかく手間と時間がかかる。かかりまくる。かかりすぎまくる。なんで人間ってやつはこんなに未熟な状態で生まれてくるのかってくらい手間がかかる。

これは可能性とか確率とかの問題だ。

片親だから悪いってわけじゃない。でも一日はあらゆる人間に平等に24時間しかないんですよ。そして一人の人間にできることには限界があるんですよ。24時間の間に48時間ぶんの何かができるなんて絶対に有り得ない。そして片親はどう足掻こうとも一人分の見識しか伝えられない。違う意見というものを持ち得ない。違う人間というものを見せられ得ない。

物事はね、比較して初めて良し悪しが判断できるんですよ。比較のためにはね、二種類以上のサンプルが必要なんですよ。片親というのは、それを提供しづらい。

今ここまで読んでいる賢明な読者諸兄諸姉は、片親だからって一人でなんでもこなしているわけじゃないだろうとお思いになったかと思います。たとえば保育園とか親の親とかベビーシッターとかね。はい、その通りです。片親というのは親本人だけでどうこうするのは無理筋なんです。色んな人の力やお金を借りてどうにかこうにか子供を育ててるんです。だから世間でよく言う「男手一つで」とか「女手一つで」とかいうのは、まあまあ実態とは乖離していると思います。人生ってのは、環境次第で、ベリーイージーからベリーハードまでスペクトラム状の難易度になってるんですよ。極々稀に誰の手も借りずに一人で何から何までこなすシングルペアレントとかいるかもしれませんが、それは既に常識的な範疇から色々と突き抜けた神話生物だと思います。

そもそも子供を育てるなんて、荷が重すぎるんですよね、たった二人くらいの人間に背負わせるって。色々な人と接して、色々な価値観と出会って、そうしないと子供ってきちんと育たないと思います、多分。或いは運良く育つ可能性もゼロではないですが。人生はギャンブルです。試行回数が稼げないという意味でも、ギャンブル。

やばいうっかり敬語になっちゃった。なるだけならないように気をつけてたのに。

まぁ素人考えの発達心理学はおいといて。

父親持ちは正直羨ましいよ。一緒に買物に来てる老夫婦とか見てると微笑ましい。同時に羨ましい。何十年添い遂げて、色々辛いこともあっただろうに、間柄が壊れずにそこまで二人で生きてきたの、凄いですねって言いたくなる。でもそんな奇跡はこの世の中において有り触れてるんだよね。それが普通だとされているんだ。デファクトスタンダードなんだ。普通の人はそこへ行き着いて当然とされているんだ。

悲しい世界だ。辛い世界だ。

 

記録しておく。

昨日は友人と新潟の街へ繰り出して映画を見てきた。クレヨンしんちゃんのを見たけど、あんまり面白くなかったな。点数的には60点って感じ。それについてどうすればよかったかってずっと考えてる。

それからラブラ万代のロフトへ行ってほぼ日手帳と手提げバッグを買ってきた。

とうとう買ってしまったほぼ日手帳。使いもしないであろう手帳に2000円+税。なんて贅沢な出費。なんて無駄な支払い。でもしょうがないね、欲しかったし。

あとは兼ねてより無くて困っていた普段使いのバッグを買ってきた。満足行くデザインとは言い難い上に以前使っていたものの2倍くらいの値段だったが、まぁこれからも使っていこうと思う。また別に買うかもしれないけど。

 

ええと、あとなんだったかな。もういいかな。

うらうらしてるあいだに5時20分になってしまった。これから走りに行くとATM手数料かかるかなぁ。

3698文字。

 

なんだか、なにも、やる気が 或いはWAIS-Ⅲとワイシャツと私

4月21日 晴れ

まあまあ良い天気。只今14時37分。

なんだか何もやる気が起きない。いい天気なのに外へ行こうという気にもなれない。一応脳直でこの日記は書くが、それから何をすればいいかわからないというのが現状だ。

 

とりあえずやることを探すと、

出納帳つけ

身の回りの掃除と整理整頓

ランニング

……そんなものだ。

本当に何かをしようという気になれない。

 

今日は4月15日に買ってきたワイシャツとネクタイを身に着けて仕事をした。

おい、思い立ってからほぼ一週間も経ってるぞ。しょうがないじゃんなんかその気になれなかったんだもん。

白衣を上から着ると首が圧迫されて息苦しいしワイシャツなんてそもそも着たまま動き回るようにはできてないはずだし、ほんとこの規定を考えたやつは頭が悪いと思う。

 

 

昨日は今通院している精神科の病院へ行って、先生と面談、それから先日受けた知能検査WISC-Ⅲの結果の文書をもらった。グラフみたいなのを期待していたのに文章だった。

7時間にならないかと声をかけられているが転職もしたいし不安だ、ということを相談したら、考えているのか考えていないのか、「今の仕事に差し障りのない範囲で、ゆっくり次を探せば良いんじゃないかな」みたいな返答をもらった。どうもあの先生は信頼できない。若いからかなとも思うけど、そこに原因を求めるのは短絡的という気がする。専門的見地からもうちょっと穿った意見を聞きたいのだけど、なんか、こう、普通というか。それとも、もうぼくにかけるべき言葉はないってことなのかなぁ。よくわからない。

で。

多分すぐになくすと思うので(こういうのを保管しておく場所がないし保管しておくのも下手)、ざっくりここに記述しておく。

全検査IQは112で、知的水準としては「平均の上」に位置します。

さよかー。IQって平均より多少高くても別段意味ないんだよね。ボーダーだと高めに出るのかなってちょっと思った。

言語性検査(おもに言語性能力や耳からの情報を処理する能力をみる検査)は、すべて平均以上という結果で、特に語彙力や常識的知識が豊富であり、聴覚的な記憶力も非常に高いといえます。

 ほんとかなぁ……(疑り深い)。もっとも、人生の一時期は好んで本を読んでいた時期があったので、そして曲がりなりにも文章を操るのを趣味としていたので、語彙力に関しては無いってことは無いような気がする。

こんな歯切れの悪い言い方をするのは、ぼくの中では常に「上には上がいる」の精神が目の上のたんこぶのようにくっついているからだ。

もしぼくとの比較対象が家族や親族だったら、読書量に関しては恐らく結構な差があると思う。でも弟とは読んだ本の質の差があるから一概には言えないな。ぼくは小説で弟は実用書だ。ともかくぼくの母系親族は、かなり身体性能力をメインに発達しているので、こういう方面には疎いのだ。

なのでぼくは、母系家系においては自分を一種の突然変異だと思っている。特別である…なんていう自覚はしていないけれど。考え方によっては、後天的に獲得してしまった読書能力なのかもしれないが。念能力者でたとえると、強化系が本質であるにも関わらず具現化系の念能力を習得してしまったみたいな感じで。

世の中やツイッターを見回せば、ぼくより本を読んでる人間なんて五万といる(こないだもどこかの日記で書いたなこの文章)。ぼくが頑張って5冊を読むのと同じ感覚で、或いはそれ以上に気軽に、10冊20冊を消化する人種が世の中にはゴロゴロいるのだ。それくらい、生活習慣の違いというのは歴然とした差があると思っている。

自分の中の本好きレベルと世間での本好きレベルは、まるで度合いが違ったという話だ。むらゆうしゃとせかいゆうしゃくらい違った。

本題に戻ろう。

動作性検査(おもに動作性能力や目で見た情報を処理する能力をみる検査)では視覚的注意力が高いことが示唆された

 この辺がちょっとよくわからない。ものを見る力が高いということだろうか。テストに取り組んでいるあいだはむしろ低いものだと思っていた。

単純作業のスピードは低下気味で作業には時間を要することが考えられます。

 手先が不器用だということだろう。文字を書くときもだいぶ酷い。頭で出力する速度と筆記速度がまるで違うので、文字を飛ばして書いたり、文字が混ざったり線がへにょったりしてしまう。意図せず走り書きにもなる。

自分のペースで取り組める課題では本来の力を出せたり、時間に余裕を持って取り組めることに関してはご自身の力を発揮できると考えられます。

今回一番参考になったポイントかもしれない。やっぱり参考になってないかもしれない。こういう仕事を想像すると、確かに自分に合ってそうだなと思う。今の仕事でやってる作業は次から次に物が送り込まれてきて、それを可及的速やかに処理しなさいという内容だ。直らない故障を抱えたマシンのせいもあって、とにかくミスしまくってしまう。

もっとも、自分のペースとか時間に余裕とか、今の世の中じゃ望むべくもないよなぁ。ある程度まとまった時間があって、その中でまとまった作業をこなせっていうくらいが妥協点のように思う。それだってよほど有能な人間じゃないと消化できないと思うが。世の中の殆どの人間は強制されなきゃ仕事なんてしない。缶コーヒーのボスのCMを実現するのはごくごく限られた人間だけということだ。

クラフトボス『新しい風・誰もいない』篇 30秒 堺雅人 杉咲花 成田凌 小澤慎一朗 ゆりやんレトリィバァ トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM - YouTube

「耳からの情報を入れることが苦手」という認識が強いようだが今回の検査ではむしろその能力は非常に高い、という結果になった。「思っていることを言葉にできない」という認識もあるようだが、語彙力は非常に高く、言葉を使ってやり取りする事は得意だと考えられる。

うーんそうなのかー。そうなのかなぁ。でもなぁ。言葉を発するのがまず難しい状況ばっかりだからなぁ。

会話の中で一度にたくさんのことを言われると混乱しやすかったり、間違いはなくとも説明が冗長だったり回りくどかったりするため、思っていることが上手く伝わらない感じや会話への苦手意識が生じやすくなっているのではないか。

 あるあるよくある。コレって言われた後にアレって言われるとファッってなる。説明は……単語について話してくださいって言われたときのアレだと思うけど、確かに長くて冗長な物言いが多かった。ズバッと言えないんだよね。だから相手も聞きたくないって思っちゃうんだと思う。

頭の中にはもくもく言葉が沸いてくるけど、これじゃない、これでもない、ってドラえもんがパニック起こしてひみつ道具を散らかす描写みたいなのが頭のなかに起こってる感じがする。

これは今の文脈に対して適切ではない、とか、これは直接的に表現してない、とか、これは相手の求める返答ではない、とか、これは同音異義語が入ってるから話し言葉としては使えない、とか、頭のなかで取捨選択が始まっちゃう。

文章を書く時は、こういうの、あっても整理がつくんだよね。着実に一個一個積み重ねていけるから。読むのも描くのも、一つの文脈が論理的に積み重なってるから、すごく好き。すごく、楽。

それがぼくが文章に惹かれた要因かもなぁ。

 

 

いっけねえ。ついネットサーフィンしてしまった。

なんかmasutodon.jpの人がドワンゴに入社したとかなんとかいう話から、サークルの縁故らしい→OBの紹介でもあったのかな→紹介したら話が決まったっていうツイートが見つかる→その人のTLを覗く、の連鎖コンボ。

フリーランスしてたりノマドしてたり、まぁ今の最先端みたいな人だったね。こういう人たちが時代を切り開いていくんだろうなぁ、ボスのCMみたいに。羨ましい。めっちゃ情報発信してめっちゃ情報受信してめっちゃ多趣味でめっちゃ知り合い多くてめっちゃアイディアも多くて、仕事もバリバリこなすような人種。バリバリっていうのはおかしいな。こういう時はなんというのか…そうだな…適切に、かなぁ。適当にこなす、かな。それで仕事ができてしまうような人種。羨ましいなぁ。羨ましい。エネルギーが有り余ってるんだろうな。そのエネルギーどこから来るんだろう。羨ましい。

 

おっともうこんな時間だ。

走りに行く時間がないじゃないか! いやこれからでもいいんだけどね。

あと、なんだっけ、何か書くことがあったような気がしたけど、まぁいいか。

3455文字

どうしよう 或いは、どうしよう

4月19日 晴

天気晴朗なれど浪高し。

高いとかいうレベルじゃないと思う、多分。

もんのすごいビュンビュン風が吹いてる。やばい。こんなん桜の花びらが尽く鏖殺されるやろってレベルで吹いてる。婚期の花見はもう終わりね。

12時15分帰宅。2時30分開始。

 

右側の、首の後ろから頭頂にかけての神経が痛い。ピキっと刺すような痛みが時折走る。

原因はわからない。

 

ちょっと今日はざっくりめに行きますわよ。

自立支援医療の提出物を役所まで持っていかねばならんのだ。そう、長いこと放置してたアレね。結局こんなときまでずれこんでしまった。明日通院の日だから今日やっておきたい。

もっとも、今はもうもらった薬*1を飲んでないし、おそらく現状を話したら新しい薬も出ないだろう。自立支援医療を申請するために作ってもらった診断書のぶん、赤字になるかもしれない。

ぼくに必要なのは薬ではなく自信とかそういうものだ。馬鹿につける薬はない。回避性人格障害につける薬があればいいんだが。或いは愛着障害につける薬とか。でも、病院では「愛」とか「自信」は処方してくれない。

鬱病になった人は世界が灰色に見えて、立ち直った人は世界が輝いて見えるというが、ぼくはいつから今の世界が今の色に見えるようになったんだろう。パキシル飲んでた頃も副作用ばっかりでろくに良くなった覚えはなかった。

鬱病でもない、発達障害でもない、じゃあいったいぼくはなんなんだ。

 

今日は主任に7時間になる話のことを確認してきたが、主任にはまだ話が行っていないようだった。やっぱりと言えばやっぱりだ。それで別の上司と主任の仲が険悪になることはないだろうが。別になってもぼくは構わない。関係ないし。

いけるのかどうかと確認された。いけるといえばいける。問題ない。ただいくことが本当に自分のためになるかどうかわからない。「まだ迷いがあります」なんて歯切れの悪い返答を正直に言うバカがいるかよ。面接も言ってたんですけどねえなんてその場の勢いで嘘まで吐いて。嘘吐き。お前がしたことは書類選考で受かった2社の面接をキャンセルしただけだろうに。

もうちょっと尋ね方を考えればよかったと今になって思う。いつもそうなのだ。後からあーすればよかったこーすればよかったと、より良かったであろう方法を思いつく。いつもそうだ。何の意味もないのに。

言い方が悪かったかなぁ。これでやっぱりやめようって言われたら、それはそれで大打撃になってしまう。

優柔不断なやつ。

でも昨日は、7時間で働くことを想像していたらハローワークのホームページを舐めるように見つめるモチベーションになったから、やっぱりあそこで働くのは嫌なんだろうなと思う。というかどこでだって働くのは嫌だ。どこがよりマシかって話でしかない。

明日、通院のときに担当医にもこのことを相談する予定だが、「あなたはどうしたいの? 何がしたいの?」と言われたとき、ぼくはどうやって答えれば良いのだろうか。「わかりません」が正直な答えだ。「やりたいことはありますが、できることではないです」これも正直な答えだ。「今の仕事を続けたくはないです」これも間違ってはいないが、問いの答えにはなっていない。

やりたくないことは無数にある。否定文で物事を判じるのは、大の得意だ。○○できない、○○したくない、そんなことばっかり言ってる。じゃあなにがしたいのさって。肯定文で語れる話は何があるのさって。

……わっかんないんだよな。わかんない。

つらい。

 

とりあえず明日は休みだから……気持ちを整えよう。もっとも日が進むごとに後戻りはできなくなっていくのだけど。そんなのいつだって一緒なのだけど。

 

今日の予定は、まず自立支援医療の書類を片付ける。この風のなかで出かけていくのはちょっときついけど頑張ろう。今日まで先延ばしにした報いだ。

次に、やりタイムが余ってたら出納帳をつけよう。今日は給料日だったんだ。

ランニングはなし。

やりタイムが明けたらネトゲの期間イベント消化。明日までなので可能な限り消化。

手の爪も切らないといけない。タイプすると痛い。

ああ、明日髪の毛も切ろうかな。予約しないと。

 

そういえば昨日のやりタイムはパソコンの掃除とガスヒーターのフィルターの掃除もしていた。

ランニングはだいたい……何キロだっけ、3キロ半くらいかな。1時間とちょっと。川辺りはやはり風が強かった。

 

後何か書くことあったかな。

なかったかもしれない。

じゃあ終わります。

1825文字

それで結局きみは何がしたいのさ 或いは仕事が怖いという話

4月18日 晴 15時40分

とうとう言われてしまった。

いつかは声がかかるかなと思っていたが、とうとう言われてしまった。

 

今の業務時間が5時間で、しかし人が少なくてほぼ連日残業していて、多分近いうちに業務時間が増やされるんじゃないかなと思っていたけれど、とうとう言われてしまった。

7時間勤務いけるか、と。

午後からこんな日記を適当に書いているくらいなら、そりゃあ1時間でも2時間でも余計に働いた方がいいに決まっている。900円にも満たない時給だが休憩を挟んで2時間働けば1500円以上の実入りがある。世間様から見たら鼻で笑われるどころか冷笑を以て見られるであろう収入アップだが、自分の現状から考えるに、大幅アップではないが、確実に収入は増えることは事実だ。

でも、悩んでいる。

だって7時間勤務になったら今後ますます抜け出せなくなっちゃうじゃん。

今の5時間勤務だったらまだどうにかなるかもしれないけど、7時間だと急にはやめられないじゃん。いやそれは5時間勤務でも一緒だけど、もっと辞めづらくなっちゃうじゃん。

どうすんのさ。

どうすんの。

泣きそう。

ていうか泣いてる。

時間を増やすって言われても全然嬉しくないし、毎日エラーを吐き続けるマシンと向き合うのは嫌だし、同僚とはあんまり話が合わないし、上司にはおそらく軽蔑されてるし、ぼくはここで働き続けたくないんだろうということはおそらく確定的な事項だ。こんなところにずっといたくない。

でも、じゃあ、おまえはどこ行けるの?

やめるって、抜け出すって、どこへ行く気?

自慢じゃないが人間性能は下下下の下である自覚はある。他人とコミュニケーション取れないし、記憶力も良くないし、判断力もないし、口も回らないし、頻繁に他人の声が認識できなくなるし*1、もう、取り柄なんて全然思いつかないし、資格もなければ技術もないし経験もないし若さすらもない。頭の回る20歳に仕事を任せたほうがまだマシなレベルじゃあるまいか。

環境が変われば人間も変わるかもしれない? そうだね、そういう希望的観測もあるね。でも結局その場その場で頑張らずに逃げてきたからこんな人生なんだよ? わかってる? どうせ同じことを繰り返すだけかもしれないんだよ? またつらいこわいやるきでないって逃げ出すつもり?

自分をいじめるのもたいがいにしろよ、とぼくが言う。

全部事実だ本当のことを言って何が悪い、とぼくが言う。

どっちが悪魔でどっちが天使かわからない、とぼくが言う。

このまま仕事を続けて35歳40歳になってもパート従業員でいるか、一か八か真人間になる権利を追い求めてみるか、その瀬戸際なのかもしれない。30歳目前で訪れた転機がこんなみみっちい変化なんて、本当にド底辺の人間だなぁ。ゴミムシ具合にも程があるだろう。

 

精神科の病院に行ったとき、軽くその先生に相談してみたことがあった気がする。

今の仕事やめようかどうか悩んでるんですけど、どうすればいいですか。

うろ覚えだけどこんな流れの会話だったような気がする。

「なにかほかにやりたいことがあるの?」

「(ITとかそういう関係のことやりたいけどやれるかどうかわからないし)えーっと、その、なんでしょうね」

「うーん、新しい環境に馴染むのも大変だと思うし、無理に職を変えなくてもいいと思いますけどねえ」

……だったかな。あんまりよく覚えてないな。

でも今の仕事は嫌だしお金はもっと欲しいんだ。贅沢言うなって話だけど、もっと頑張れる仕事がしたいなって思うんだ。毎日悩んで考えて提案して相談してバリバリやれたらどんなにいいだろうって思うんだ。でもきっと人間性能が追いつかないんだ。

本当にやりたい仕事だったら自分の能力が足りなくてもどうにかなるんだろうか? 工夫して努力して我慢して行動して勉強して土下座してでもその仕事を続けられるんだろうか?

わからない。

そこまでしてやりたい仕事って、自分にあるのかな。

いっときは続くかも。ちょっとの間だけなら、熱に浮かされたみたいに熱中はできるかも。

でもそれが数年、十数年、数十年と続くとしたらどうだろう。

挫折するかも。

面倒臭くなって、もういいや、ずり落ちてもいいやってなっちゃうかも。

それが怖い。

自分の精神が全部投げ出すモードになるのが怖い。

できないならやらなくていいやっていう思考回路にスイッチが入っちゃうのが怖い。

ヒダル神かなんかが背後霊にでもいるのだろうか。

もしいるならさっさと殺して欲しい。

いややっぱり死ぬのは怖い、なぁ。

 

自分がまともに働いてる姿が想像できない。

自分の性能が世間様に通用するとは考えられない。

どんなにきちんとした研修を受けても、無理そうに思う。

弟を見ろ。こんな風に働けるか。たまに話してくれる勤務中のエピソードを同じようになぞれるか。こんな明るくて積極的な人格を発揮できるか。上司に気に入られ、同僚に気に入られ、取引先に気に入られ、ちょっとやそっと嫌なことがあっても「これについて悩まなくていい」と受け流し、膨大な取扱商品に関する記憶を瞬時に引き出せるか。

上司を見ろ。多岐に渡る商品を逐一穴なく店頭に並べられるか。パート社員から飛んでくる商品に関する質問を諳んじて答えられるか。明るく愚痴を吐きながら周囲の人間と良好な関係性を築きながら雑談できるか。それを毎日毎日朝6時から夜6時まで続けられるか。

他は……他は……?

他の仕事は見たことないから、知らない、わからない。

サラリーマンとかって、どんな仕事をしてるのかわからない。毎日会議したりしてるらしいけど、どんな会議してるんだろう。そもそも会議っていうものを見たことないからわからない。

事務員ってどんな仕事をしてるんだろう。なんかとにかく書いたり整理したりみたいなことばっかりしてるように思うけど、よくわからない。

ほんと……何をしてるのかわからない。ただ何もできないんだろうなと思うだけで。

 

興味だけで言えばね、いっぱいあるのよ。

ゲームショップの店員とかね。ほらやっぱりゲーム好きだからさ。やっぱり見てて楽しいって気持ちはあるしさ。そういう娯楽に関わりながら最新のトレンドとか見ていくのって楽しそうじゃん。でも接客業は長期休み取れないし、土日取れないのは今更気にしないけど、お盆と年末は4日くらい欲しいじゃん。コミケ行きたいだけなんだけどね。あとは好きって気持ちだけで仕事にできるほど甘くないんじゃないかなって思っちゃうわけよ。俺よりゲームが好きな人なんてゴマンといるしさ、据え置き機のヘビーユーザーとかも多いだろうしさ。ハロワに募集があったんだけどね。

あとはDTPオペレーターとかも楽しそうじゃん。発想と工夫の勝負じゃん。これはこうした方がいいんじゃないかなっていうアイディアが通った時とか、楽しそうだし、あとパソコンでできる仕事っていうのもいいよね。でもあれなんだよね、その発想と工夫が多分ぼくにはないだろうし、そもそもデザインの知識も経験もなければ使用ソフトもズブの素人でもうどうしようもないよね。

パソコン教室の仕事とかもどうかなー。唯一技能と言えるようなやつだし、きちんと勉強すれば知らない人に教えられるくらいにはなるんじゃないかな。どうかな。でも調べてみるとね、やっぱり単純に教えるだけの担当だったらバイトやパートの待遇しかないんだわ。当たり前だよね、ここまでは単純労働だもん。時間ごとの支払いで充分だもん。正社員ってなるとそれより上、つまり管理職ってこと。スキルアップとかしながら何個かの教室をまとめて面倒見なくちゃいけないってわけ。出来る気がしねーよ。

IT系の仕事もやってみたかったんだ。プログラマーとかの人ってなんか魔法使ってるみたいですごいかっこいいよね。ちょっと便利なツールとかもぱぱっと作っちゃって、超かっこいい。使いこなせたらすごく便利そう。これからはデータや情報を管理する時代になっていくから、幾つもの会社にそういう需要がこれからも起きていくと思うんだよね。まあ、高度に専門的なせいでこれからぼくが参入するのなんて到底不可能に近いんだけどね。しかもこれまた管理職にならないと正社員の肩書が貰えない仕事になっていくんだろうなぁと思うとね…そもそも言語とか開発環境とか日進月歩で変化していくものに怠け者で変化が苦手なぼくが追いつけるかどうかが怪しすぎるしね…。

まあでもなんていうか、あれだよね。一番やりたいことで、一番能力が追いつかないことって言ったら、多分あれだよね。

小説家になること。

ああ、泣きそう。

泣くわ。

創作の世界に生き続けられたら、きっと幸せだよねって思うけど、多分生き続けられないから、無理だと思うんだな。

頭も悪いし、記憶力もないし、集中力もないし、根気もないし、専門知識もないし、発想力も創造力もないし、なにより小説を書こうって熱意があったらこんな日記で管を巻いている暇なんてないはずなんだ。毎日寝る間も惜しんでインプットとアウトプットに時間を回さなきゃいけないのが本来の小説家だと思うんだ。小説を書いたり妄想を文字に起こしたりするのが三度の飯より楽しいような人間が小説家になるべきだと思うんだ。そして1時間で5000字書いたりしなきゃいけないんだ。ちなみにぼくはどう頑張っても1時間で2000字~2500字が限度です。勿論トップスピードなのでもっと下がります。どんどん下がります。けっ、つっかえねー。

できるできないを別にして何がやりたいかって言われたら、ぼくはやっぱり間違いなく小説家になりたいって言うね。あっでもゲーム作りたいかな。そのどっちかだね。そしてどっちもできないね。もうだめだね。小説家になろうとかで一旗揚げてみろよほらほら。できないだろうが。つっかえねーやつ。

小説家なんていうのは目指すもんじゃない。いつの間にかなってるものだ。言うなれば魂の在り方なんだよ。書いて書いて書き続けるのが大前提でその上で知識や技術や個性を差別化してやっべーいつの間にかなってたわみたいなものなんだよ。小説家になりたいなんて言ってる時点でお前に小説家になる資格も能力もないんだよ。学生だろうが社会人だろうがバイトだろうがパートだろうがニートだろうが、なろうと思えばどっからだって誰だってなれるんだよ。なりたいなんて言ってる人間はお門違いなんだよ。わかるかよ。そんなんだからなれなかったんだよ。

ゲーム作りたいだってそうだよ。やろうと思えば学生でも社会人でもバイトでもパートでもニートでも、今の時代ならPC1台目の前にあればゲームが作れるんだよ。それを作りたい作りたいって、作りたいなら作ればいいじゃんかよ。早くやればいいじゃないか。願望だけでやる気すらないのかよ。つっかえねーやつ。

 

……ああ、いかん熱くなってしまった。

最初の枕が「できるできないを別にして」なのにいきなり説教モードに入るヤバいやつと化してしまった。

でもまだ腹がグツグツしてる。

 

別の仕事に就きたい。

でも何ができるか分からない。

何をしたいかも分からない。

そんなんじゃあアドバイスする人も困っちゃうよね。

第三のルール「自分が求めているものをはっきりさせないと求めているものは手に入らない」

そこから導き出されるのは「自分の求めているものが曖昧だと、皆が混乱する」

更には「自分の求めているものをはっきりさせることが、結局みんなの幸せに繋がる」

読書感想文:『この世の中を動かす暗黙のルール』 - 遺書手紙日記

 これができてないんだよ、これが。

自分の求めているものって、いったいなんなんだろうって。

お金がほしい。

やりがいがほしい。

いきがいがほしい。

休みがほしい。

能力がほしい。

キャリアがほしい。

肩書がほしい。

人権がほしい。

幸せがほしい。

どれもこれもはっきりしないね。これじゃあどうしようもないね。ぼくだって困惑するよ、こんなもん。ぼくが一番困惑してるよ。どうすればいいんだよ。どうしたいんだよ。ほんとにさー。

そういえば小説家になろうのトレンド調べるために日刊上位のやつを読むなんていう課題も「何かやりタイム」に入ってた気がする。結局一度もやってないけど。

どうしたいんだよー。ぼくはどうしたいんだよー。どうしたら自分の求めているものが見つかるんだよー。

 

自分の求めているものって、なんだよ……。

5052文字

*1:感音性難聴やら言語性聴覚失認やらの可能性はあるけど詳細は不明。こんな曖昧な主訴じゃ検査のしようがないのではないか。