なんでぼくは不登校になったんだろう
鬱い。
とあるブロガーのとあるエントリを見て、自分の中学時代のことを思い出していた。
あのブロガー、人生のハードル上げまくっててすごい嫌いなんだけどね。
だいたい上の下くらいなのかなー、総体から見たら普通に勝ち組人生なのに上の上に入れなかったから自分はダメだ自分は落ちこぼれだ自分は間違えた失敗したって言ってる人種。
ダメ人間を自称するわりにちょっと普通から外れたハイスペックを所持してるのは、かなり詐欺に近いやり方のように思う。しかも見りゃ一発で分かるとはいえ、それを明示してないのもたちが悪い。夢を見せて金を稼ぐわけだからあながち間違ってないのかもしれない。あの人の経歴見ると当たらずとも遠からずじゃなかろうか。もっとも意識高い経営者なんてみんなそんな生き方してるものなのかもしれないが。
下の下か下の中くらいの世界観で生きてる自分には本来別世界の人間でしかないはずなのに、やたら顔がデカいせいで嫌でも目に入ってきてしまう。ネット社会の嫌なところだ。
常々思うが、突出した能力を持つ人間が世に出るぶんには、発達障害なんてあろうがなかろうが関係ないんじゃないだろうか*1。発達障害を能力で捻じ伏せられるような人間ならどこに行って何したって生きていける、そんなように見える。自分じゃどうする能力もなくてさらに発達障害持ちとかだとそれこそ筆舌に尽くしがたい苦労と閉塞感に押しつぶされているのだろうなあ。
まぁ、ただの嫉妬と羨望でしかない。
前に何度か触れたような気がする。
中学1年の夏休み以降、ぼくは不登校になった。それから3年の卒業式まで、テストを受けに行く以外はほぼ登校しなかった。
なんでぼくはあのときそんなことになったんだろう。
コレといった理由が、当時も今も思いつかない。
例のエントリが外部から危険な説であると指摘されていたのを見た別の人がこんなことを言っていた*2。
「このエントリで危険なことがあるとすれば、それは思慮の浅いやつが人生のレールから飛び降りる可能性があることくらいだろう」
それに対するリプライが、
「その程度の無思慮なやつなら降りなくてもいずれ落ちる」
だった。
それでごりっとMPを持っていかれた。
ぼくは無思慮だったんだろうか。頭が悪かったんだろうか。堪え性がなかったんだろうか。甘えだったんだろうか。
確かに周りと上手く行ってなかったのは事実だ。友人なんてろくにいなかった。その割にイキがってたから周囲からは浮いていた。溶け込めなかった。先輩にも睨まれた。ある意味セクハラみたいなこともされた。それが一般的なこと、よくあることだったかどうかは、当時のぼくには分からなかったし今のぼくにもわからない。でも死にそうなほどだっただろうか。結果的には発達障害なんてなかったし、過激ないじめもなかったように思う。ちょっとしたものはあったけど、いたずらの範疇と言われればそれまでだ。部活についていけなかった。嫌な先生がいた。課題の提出が嫌だったなんてくだらない理由もあった。引きこもっていた頃は、とにかく死にたい日々だった。音楽がただの音の羅列にしか聞こえなかった。絶望しかなかった。あの時死んでおけば良かったと今でもよく思う。
そして、塾には行きこそすれ、自学自習の類は全然しなかった。そのくせもつかなかった。当時は不登校なんて許されるような社会情勢もなかったから、とにかく外に出なかった。ずっと家に引きこもっていた。テレビゲームくらいしか手につかなかった。小学校のときあれだけ感銘を受けた読書もろくにしなかった。バカだった。アホだった。愚かだった。
昼夜逆転も酷いものだった。親と顔を合わせたくなかった。午後2時に来る生活相談員だかの人に起こされるどころか寝過ごしてしまうこともしょっちゅうだった。自転車で行ける距離に教育相談室というのがあって、不登校になった子が通うと登校日としてカウントされる制度もあったのだけれど、ぼくはそこへ行くことすらしなかった。そこへ足を運ぶのが恥のように思えていたのを、なんとなく覚えている。自分と同じ境遇の子たちとすら交流を拒否していたのだ。自分は同じじゃないと思いたかったのだと思う。同じじゃないどころか、それより酷かったというのに。
……そしてテストの点はそこそこでも内申点なんかは多分ズタボロで、家から近いという理由もあって、不登校だった負い目もあって、近隣でほぼ最低クラスの高校に進学して、そして卒業して就職する自信もなくて、親に迷惑かけながら私立大学に進学して、そこでも就職せずに卒業して、ニートして、非正規雇用になって、……
ああ。なんてお手本のようなクズ人生だろう。こうして俯瞰してみると本当に、本当に、死んでしまいたくなる。
自分は他と違うというような意識は、ずっとあったように思う。異常というか、溶け込めないというか、自分が考えていることと周囲が考えていることが妙にズレている、自分が自然体でいると周りと衝突するというようなことは多かったように思う。だから中学でつまずかなかったとしても、高校か大学でつまずいていただろうという予想はつく。それが発達障害に類するものなのかそうでないのかは、もう今となっては知る由もない。
そしてこんなことを考えていても、何の解決にもならない。ただ泣きたくなるだけだ。ただ辛くなるだけだ。ただ死にたくなるだけだ。ただ吐きたくなるだけだ。
どうすればよかったんだろう。どうしてもらえばよかったんだろう。ぼくが悪かったんだろうか。運が良ければどうにかなったんだろうか。
わからないわからないわからないわからないわからないわからない……わからない……。
質も量もまるで児戯 或いは高等遊民の話
こんなご時世だから、ネットを歩けばブログに当たる。
他所様のブログを見る。
すると内容の充実さや質の良さに感動する。
たまに意味深なことを書いているような浅いことを書いているような人もいるけれど、その発想力は感心に値するものだ。
比べて、ぼくのブログはどうだろう。
ひたすら日々がつらいとか仕事がつらいとか生きるのがつらいとかそんなことを書きなぐってばかりで、電子のゴミを増やしているばかりじゃないか。
なら書かなきゃいいのかというと、それはそれで寂しいので書くのはあんまりやめたくない。
もっとも、その言葉にも説得力があるかというと怪しいものだ。
4月中の記事が20あるのに、5月中の記事はその半分の10しかない。1日1記事も書いてないのに、それが更に減速した形になる。これではアフィリエイトやらブログ収入やらには程遠いだろう。もっともそれを当て込んで開設したわけでもないのだが。当て込んでいたわけではなくても、その水準に満たないような質というのは火を見るより明らかだから、そういう意味では凹む。
ならば質と量を充実させる努力をしろというのが正道だが、それにしたって努力とはどんなことをすればいいのだろう。わからない。
こんなネットの片隅に書き捨ててあるブログなんて誰が当てにするものか。……まぁやるとしたら別のブログを開設するだろう。ここには愚痴を書きすぎた。
しかし、小説家になると言っていたワリには、文章を書いてお金をもらうことに対する抵抗もあったりして、よくわからない。いや、これは多分、自分ごときの能力でお金をもらうことに対する抵抗なのだろうと思う。まず自分というものに対して自信を持たなくては、なんにせよどうしようもないのだ。
職場でものすごく些細な行き違いがあって、こちらの落ち度なのか向こうの落ち度なのかわからなくて、そのことで頭がオーバーヒートしている。
向こうはきちんと伝票を残しているだろうから、十中八九こちらの落ち度なのだろう。だけどぼくにはその記憶がない。きちんとメモしておけば良かったと、そのときもきちんとメモしておこうと、思っていたが後の祭り。とにかくすべてに嫌になる。忘れている自分にも、メモしなかった自分にも、トラブルに立ち向かえない自分にも、全てが全てにだ。
というか、責任者に直接確認しろと言われたが、その責任者がどんな人物か知らないので、捕まえようがない。喋ってる間に聞いておけよという話だが、それすらも忘れている始末だ。
この脳みその欠陥、どうすればいいのだろうか。
精神科に行ってみても別段問題があるわけではないと言われるし、それなのにこんなに生きづらいのはなぜなのか。なぜみんな平気な顔をして生きていられるのだろう。甘えか、甘えなのか。みんなこんなに死にたい気分をひた隠しにしているのか。だとしても疑問が残る。死にたい気分をひた隠しにしたり耐え忍んだりするその差はどこから発生したのだろう。わからない。
今日見たとあるブログで、こんなくだりがあった。
(多分検索したらヒットするかもしれない)
不満はあるけど不安のない人生か
不安はあるけど不満のない人生か
人生は、後者のほうがいい
サラリーマンをしながら生きていく生活は、不満はあっても不安はないだろう
不満というのは不完全燃焼しかできないことだ
対して、不安というのは完全燃焼の原料となる
自営業者は明日の生活を不安に思っても、不満を漏らすことはないだろう
なぜならばそれをしている間に自身の売上を少しでも伸ばすことを考えるからだ
ざっつ~な意訳なので間違ってるかもしれないが、抱いたいこんな感じ。
でも、これを言えるのって学歴があって頭がいい人だけだよねーって思う。
大多数の人間が不満を抱くのは、自分の境遇にじゃない。そうでもないか、境遇に不満を抱く者もいるだろう。しかし、考えを突き詰めれば、結局は自分の能力に対して不満を抱かざるを得ないのだ。それは、自分の現状を変えられないという能力の不足に対してであり、自身の理想を追い求めるに足りなかった才能の不足に対してであり、自身の思い描いた目標に直線的に向かえなかった努力の不足に対してである。
自分のやりたいことを見つけられた者が幸福なのではない。それを叶えられる能力を持った者こそが幸福なのだ。
それで言えば、ニートのまま生きていくとか、低所得者のまま生きていくとか、断捨離とか、そういう生き方は、結局のところ教養のある優秀な人間にしかできないものだ。どこに書いてあった文章だったか忘れたが、あるいはよく言われていることかもしれないが、「清貧に生きるには、高等な教育を受けなくてはならない」ということだ。何が大事で何が大事でないか、無から有を取り出すことができるか、そういうことができる人間が、清貧な生き方をすることができる。身なりは貧しくとも心は清いとはそういうことだ。そしてそういう人間は、頭の中が豊かなのだ。だから自分の外に多くのものを必要としない。今の日本では高等な教育を受けるには多額の資本が必要で、つまりそういうことだ。明治やそこらの文豪たちも、高学歴なのにろくでもない生活してる人がいっぱいいたよね。昔で言う高等遊民みたいなものなのだろう。
こういうことに頭を巡らせているときだけは少しだけ気分がマシになる。
そして今我に返ったとき、また頭の痛みが戻ってくる。
ああもうこんな時間だ。
寝なくてはならない。明日も仕事だ。
眠ると明日が来るが、眠らなくても明日は来る
そうか、もうすぐ一週間も放置するところだったのだな。
といっても今日だってさほど書くことなんてない。
ずっと思っていることがある。
夜更かしするととてもつらいのに、それでも夜更かししてしまう理由。
つまり、寝ると明日が来るから、怖いのだ。この2つがセットになっていて、だから寝たくないのだ。
でも冷静に考えればわかることだが、寝なくたって明日は来る。寝ようが寝まいが明日が来るなら、少しでもマシな明日を迎えられるように生きるのが正解というものではなかろうか。
ここにも認知のゆがみが起きている。
先日、泣きながら8キロの距離を走っていた。
大の大人が、みっともなく泣き喚きながら、どったばったと体を蹴り進めている。どう見てもキチガイか精神障害者かといった様子だっただろう。
しかしまあ、なにせとっぷりと日の暮れた農道である。田植えも終わって、そんな時間にはもはや誰もいやしない。いたところでぼくから見えなければ、それはいないのと同義だから、やはり誰もいなかったに違いない。
泣きながら、走りながら、何を叫んでいたのかといえば、母への謝罪だった。
おかあさんごめんなさい。おれなんてうまれなきゃよかった。はやいうちに死んでおけばよかった。存在するんじゃなかった。生きてるべきじゃなかった。死ぬべきときを見誤った。生まれてきてごめんなさい。存在してごめんなさい。生きててごめんなさい。
母は善良な人間だ。そして苦労人だ。
たまたま運悪くクズみたいな男に引っかかっただけの人間だ。
いろんな辛苦もあっただろうし、いろんな艱難もあっただろう。色々言われただろうに、その男と離婚して、子供二人を育てて、60近くなった今でもまだ寄生してる長男の面倒を見てる。なんてしんどい人生なんだろう。
可哀想だ。
気の毒だ。
そこまで頑張って回したガチャが、片方大外れだったなんて。
弟しかいなければ。俺なんていなければ。そうすれば、もうちょっとだけ平穏な人生を送れてただろうに。
……いけない、寝よう。
明日もお仕事あるんだから。
今日は少し気分がいいようだ
5月24日 くもり
4連勤が終わって明日は休み、その次が出勤で、その後2連休。
ようやく一息つけるといったところだ。
世間様から見たら、4連勤くらいでなんだ、と言ったところだろうな、というのは、いつもぼくの頭のなかにある。世間様は5連勤が常識だからだ。
もう2月ころからずっと考えていたことだが、やはりこの仕事をやめたい。
別の仕事に行ってもまるで使い物にならないかもしれないし、そもそも別の仕事も見つからないかもしれないけれど、やはり今のこの仕事をずっと続けていくのは多分どこかで精神が擦り切れると思う。
否、多分どんな仕事に就いてもいつかどこかで精神が摩耗し切ってしまうことはほぼ予想できるのだけれど。
ぼくの中の一部がこう言っている。
「創作的な仕事をしたい。頭から空想が離れないなら、やはりそれを具現化して行くしかないんじゃないだろうか」
それに対して、別のぼくがこう言っている。
「そんなの無理に決まっているだろう。年齢や学歴なんかを引き合いに出すまでもなく、おれの中には創作の才能がないんだ。そして戦っていくためのコミュニケーション力も、積極性も、自信もない。機会も能力も運もない。やろうと思えば今からだってできるはずじゃないか」
それに対して、別の僕がこう言っている。
「そのとおりだ。おれの人生はもう方向性が決まっている。おとなしく涙を飲んで血を吐きながら単純労働に従事すべきだ。心を殺して、働くために生きていくべきだ」
それに対して、別の僕がこう言っている。
「弟は営業の仕事が性に合っているらしいね。ホワイトカラーといえるどうかは意見が別れるようだけど、スーツを着て、たくさんの人と話して、たくさんのことを考えてるね。あれが羨ましいよ。あんな風になったらかっこよかったのに、おれなんかてんでだめだな。よくデキた弟に、落ちこぼれの兄。泣かせる話だよねえ」
「それに、お前の母親だって、なんだかんだで今は管理職さ。能力そのものが高いわけじゃないけど、年の功で立派にやっている。忙しくしていても、働くのが楽しそうじゃないか。尊敬できる人と一緒に働くのが多分楽しくてしょうがないんだろうよ。どんなに大変でもさ」
「そこへきて、お前はなんなんだい。仕事が好きじゃない、仕事ができない、仕事がしたくない、生きていくのがつらい、死にたい、弱音ばっかり吐いてるじゃないか。そんな人間にできる仕事なんて、存在しないんじゃないか? 今のまま大人しくパート社員として人間の底辺として生きていくのが、分相応ってもんじゃないのか?」
それに対して、別のぼくが言っている。
「でも、でもだよ、でも、同じように無能で蔑まれるなら、同じようにミスして怒られるなら、同じように心を殺して生きていくなら、せめてもっとお給料のいいところで同じようにされたくないかい? まぁ、相手にとっては迷惑だろうけどさ、そこはどうにか目をつむってさ、給料泥棒って言われたってしょうがないけど、せめて自分の生活費を賄えるくらいの給料はさ、欲しいじゃない。だからもうちょっと稼げる仕事にさ」
それに対して、別のぼくがこう言っている。
「でもさぁ、稼げる仕事ってことは、時間拘束も増えるんだよお。2倍以上、下手すりゃ3倍とかさ。その時間のストレスに、お前、耐えられるのかい? 午前中にメンタル打ちのめされても午後も暗くなるまで仕事しなきゃいけないんだぜ。お前、耐えられるのかい。それにこうして日記をだらだら書く時間だってなくなる。ゲームに入り浸る時間だってなくなる。休日は疲れて家族の買い物に付き合うどころじゃないかもしれない。十中八九、今の安穏な生活を犠牲にしなきゃいけないんだぜ」
「それは……やってみないとわからないと思う……よ」
「そうだな。やってみないとわからないな。でもそういうリスクはどこへ行ったってついて回る。稼ぎは2倍でもつらさ2倍と拘束時間2倍なら、苦痛は4倍だぞ。2倍で済めば御の字かもしれないけどな」
それに対して、別のぼくがこう言っている。
「でも……じゃあ今の仕事をずっと続けていって、なんの目があるっていうんだ。このまま35になっても40になってもいじいじいそいそと死んだ目で作業に徹さなきゃいけないなんて、拷問じゃないか。地獄じゃないか」
「拷問だよ。地獄だよ。でも、そこまで自分を追いやったのは自分だからさ。あーあ、どこかのタイミングでコース変更に成功してれば」
「どこかってどこ」
「知らない。わからない。」
「……」
「……」
「……今からでも変更はできるよ。全部投げ捨ててしまえばいい」
「だがそれはだめだ。禁じ手だ。それは親父と同じ手段だ。奨学金だって返し終えてない。母親のためにならないし、弟のためにならないし、親戚のためにもならない」
「でも、だって、この先、生きていたって同じようなことじゃないか。なら人生の損切は早めにすべきだ。すべきだったのに、もうこんなところまでずるずると生きてしまっているんだぞ」
「でも、自殺したやつの周りの人間がどんだけショック受けるか、知らないわけじゃないだろ。……あと、怖いし」
「まぁ、怖いけど」
「怖い」
「上手く死にたい」
……今日は少しランニング行けるかなと思ったのに、もうこんな時間である。
行けなくはないけど、どうしようか。
2150文字
ねむいつらいあたまがいたい
頭が痛い。
仕事中ずっとずっとずーっと自分を責め続けて、頭がオーバーヒートしているような気分。
頭の中が処刑場になっている気分。
頭の中が鉛で満たされている気分。
今すぐに頭を抱えてうずくまって全てをシャットアウトして悲鳴を上げて涙を流しながら自分の世界に引きこもりたい気分。
そんなことを考えながら仕事してるから当然能率なんて上がるわけがない。
本日は9時間労働。1時間休憩。総計10時間。
体中が凝っている。
昼食を摂りに家に帰ると弟とその彼女と母がいて、外食に行くために待っていたとのことだった。
残業を承諾してしまったぼくはそれを断らざるを得なかった。
仕事のために。
仕事だから仕方ない。
ぼくが一番嫌いな言葉だったはずなのに。
残業なんて蹴り飛ばして一緒に行けたらどんなに楽しかっただろうか。たかだか3000数円のために家族と過ごすリラックスした時間を棒に振ったのだ。残業できるかというクソみたいな問に首を縦に振ったせいで。
今度からもう、日曜日や土曜日はなるだけ断ったほうがいいのかもしれない。断りたい。断ろう。畜生め。
今の悩みは大まかに分けて三方向に分岐する
1,今の仕事を続けていても未来なんてないだろう。つらい。とにかくつらい。やめたい。
2,別の仕事がうまくいくとは限らないが、万に一つはうまくいく可能性もあるかもしれない。でも結局のところ体のいい労働力として使い潰されるのがオチじゃないか。でもそれは今の仕事でも永久に一緒だ。
3,どうせこれからいいことなんてないんだ。いっそ死んでしまえばいいじゃないか。でも奨学金の連帯保証人を任せっぱなしにはできない。今いくらあるんだろう。返済し終わったときが貴様の命日か。
でも、死にたいというのは、これは感情の乱暴な要約でしかない。俺が本当に求めているのは、「楽になりたい」「嫌なことから逃げたい」「楽しい空想の世界に入り込みたい」「ずっと幸せな気分のまま眠っていたい」だ。
全部ひっくるめて乱暴に要約すれば、だから、つまり、死にたい、となる。だってそんなの、この世にいる限り叶いっこない。
他人の悪口が許せない。
他人の陰口が我慢ならない。
落ち着かない。
つらい。
尊敬する人と一緒だったり、仕事内容自体にやりがいを感じられたりしているなら、9時間くらいへっちゃらなのだろうけれど。
俺にとっては拷問でしかない。
地獄だ。
それでもらえる賃金はろくでもないってんだから、もう。
もう……。
いつもどおりの展開 或いはここ数日の話
5月18日 曇り
さて。
ここ数日完全に日記をサボっていたというか、14日からこっち完全にうちのめされて書く気になれなかったというか、とにかくそういうことだ。
書きたいこと記したいことはたくさん思いつくのにいざPCの前に座るとゲームなどに逃げていってしまうこの人間本当にクズの塊ではなかろうか。
死にたい。
昨日17日は残業だった。
職場に一人、かなり仕事のできない人がいる。一種の発達障害気味なのかもしれないと、見ていて思うくらいの人だ。それでも本人は明るく生きていて旦那さんも子供もいるから、ぼくなんかよりははるかにマトモに人生を送っているのだけど、とにかく思い違いや間違いや物忘れが激しい。その点はぼくと非常に似ている。
そしてその人を見る周囲の目が、痛いのだ。どうにもならない人間を見るような目。無能を見る目。こっそりと指差してひそひそと笑う目。あの目が怖い。心が痛い。気持ちが辛い。
その人に向けられていること自体もそうだし、自分が同じ目を向けられているのかもしれないと思うこともつらい。いやおそらく向けられているのだろう。仕事を探して右往左往する様などまさに似たような感じだ。
うう。ああ。ううう。
無能であるくらいなら死んでしまいたい。
16日は……確か休みだったはずだ。
とある友人と、誕生月にはそれぞれご飯を奢ることでお祝いとしようという約束をしている。というわけで、16日がその日だった。
かと言って、あまり高いものを強請るのもなんなので、そこそこの値段で食べ放題の場所をチョイス。
神戸ワールドビュッフェというところである。6時頃に行って9時まで粘るという頑張りぶりであった。
自分は食い気の多い方なので食べ放題となるとどうしてもお腹に入り切らなくなるまで食べてしまう。この日もまぁ、かがみ込むのが辛いところまで食べていた。
そんで帰宅が9時半くらいだったけど、それからなんやかんややっていると就寝が3時になってしまった。それからの睡眠時間は3時間。で、残業。
これが例えば帰宅時間が6時半くらいだとすると、就寝時間がちょうど0時になるのだな。帰宅時間が6時半だとすると業務終わりがだいたい5時半とかになるのだな。業務終わりが5時半だと定時が5時になって、定時が5時だと業務開始は8時になるのだな。
……別段意味のある計算ではなかったのだな。
15日は……何をしていただろう。よく覚えていないな……。
こういう日記等はいつもこうやって数日空いて、書きたいことの羅列になって薄まっていって、最終的に散逸して消滅してしまうというのが常だった。
高校時代の日記など、10日単位で溜めたこともあってもはや日記ではないだろうという状況にまで陥ったことがある。
10分15分といわず一言でも二言でもいいから記録に残しておけばあとからそれらを手繰っていけるのに、本当に毎日コツコツというのができないやつだ。こういうところもクズだ。
仕事ができる人が羨ましい。
このまま今の仕事をずっとやり続けるのは、精神が死ぬ。と思う。
かといって他に拾ってくれるところ……か……うう……。生きるのがつらい……。
メンタルが強い人間ならなぁ。良かったのになぁ。
これまで育ててくれてありがとうございました。上手く育たなくてごめんなさい。
そんなことを言って消え去りたい気分。だ。
明日は誕生日の話 或いは悩んで悩んで頭が痛くなってやめる話
明日でとうとう30歳になってしまう。*1
焦りから逃避するために転職の情報を集める。
でも仕事内容とか給料とか会社方針とか待遇とか休日日数とか残業時間とか疑ってばっかりで。
応募したらしたで面接があって、篩い落とされるのは目に見えてて、よしんば通ったとしても今の仕事の状況を考えたら使い物になるような気は全然しなくて。
スタッフの声とかも疑っちゃうし会社に溶け込めるかわかんないし仕事覚えられるかどうか分かんないし普段はまともに動けても一度メンタル崩れたときどうなるかわかんないし。
でも、じゃあ、どうするんだ。
このまま時給800円ちょっとで10年も20年も生きていくのか。
それはそれで想像するだけで地獄に近いような気もする。
けど。
でも。
ぼくって人間の性能を考えたらさぁ、それが分相応なんじゃないの?
とも、思って、しまって。
小説家になれたら凄く嬉しいし楽しいだろうなって思うけど、そんな能力も根気もなくて、努力する才能もなくて、
じゃあもう人生腐りながら過ごすしかないんじゃないかって。
思うわけじゃん。
なんもかんも諦めて死んだ目をしながら機械みたいに生きていくしか無いわけじゃん。
……おかしいなあ。一時期はロボットになりたいって言ってた気がするんだけどなぁ。
違うな。
ロボットになりたいとはいったけどロボットみたいに生きていきたいとは言わなかった気がする。ロボットっていうかあれだよ、哲学的ゾンビ。何も考えずにただ時間だけ過ぎていく毎日を早送りで生きていって死にたい。あらゆる出来事に何の感情も沸かないようにして外部に対する反応だけで生きている人間のように振る舞っていきたい。
もう何も考えたくない。もう何も受け止めたくない。心を殺して生きていきたい。
この情けない心を殺せれば、この弱々しい心を消しされれば。
どこへだって行けるのに。
何にだって挑めるのに。
どんなことでもできるのに。
中途半端に心が残ってしまったせいで、何をすることもどこへ行くことも何に挑むこともできない。
ああ、つらい。
つらいつらいつらい。
どうすればいいんだ。
どうしたいんだ。どうしたいんだ俺は。どうしたいんだぼくは。
考えても考えてもわからない。考えても考えてもこれって解答が見つからない。
自分の、やりたいことが、わからない。
ただ今のままは嫌だってだけの気持ちだけしかない。
こんなんで、こんなんで。こんなんで。
こんなんで生きてられるかよって。
でも自分で死ぬのはあまりにも、あまりにも周りに迷惑かけることも分かってしまってて。
本当に、どうしよう。
どうしよう……。
誰も誕生日おめでとうって言ってくれないと、グラブルの誕生日メッセージとかFGOの誕生日メッセージとかがまるで砂漠で口にする一口の水みたいに浸透してきて、嬉しいと同時にとてもつらいのだ。
様々なキャラが様々な声で「おめでとう、君に会えて良かった」って言ってくれる、ゲームの世界って凄い。
現実ではせいぜい一人か二人か、あとは企業や飲食店のDMくらいしか来ないのにね。
今更Twitterでおめでとう乞食をするのも、それはそれでつらいし。……なんていうこと自意識過剰なことを考えてるから、生きにくいんだと思うけどさ。ほんっと性根が腐ってるっていうか、なんというか、やっぱ自意識過剰なんだと思うね。
……最近、ここ数日、夜更かししてばっかりだ。
2時とか3時とか、そういう酷いのばかり。今だって1時半だ。夜更かしだ。
側溝掃除の手伝いがあるというのにだ。
また寝たくない症候群が発症してるんだなあ。
*1:記事をアップする間になってしまった。格好がつかない